こんにちは、りんです^^
友人にはお子さんが2人いるのですが、自分の親も旦那さんの家族も近所に住んでいない為困った時に頼れる人がいない、といつも嘆いています。現代は核家族化してますし、仕事は都内なので都内に近いところに住みたいし、でも都内に近づけば近づくほど家賃が上がるし…というジレンマで首が回らない状況となっています。私の会社の先輩ママさんは代々東京に家があり、実家近くに旦那さんが家を建ててくれたのですぐ親を頼ることができ、働きながら子供3人を育てられる、といってました。土地持ち最強です、まじで羨ましい・・・という話から、我が家の友人であるアメリカ人家族の事を思い出したので書き綴ります。
私が小学生の時、母にアメリカ人の友人家族がいました。地元のショッピングセンターのフードコート的なところで知り合ったのですが、片言の英語を話せる母はぐいぐい絡みに行って友達になりました。こういうところは純粋に尊敬します。
(1990年代、某ショッピングセンターのフードコートにて)
母:あら、りんちゃん見て。ガイジンが座ってるわ。
りん:ホントだ。アメリカ人かな。子供もいるね。
母:ハロー。ウェアアーユーフロム?
ガイジン:Hi…
急に声をかけてきた不審な日本人の子連れおばさんに、ちょっとふくよかな金髪女性は若干ひいていました。が、母は続けます。
母:ワイアーユーステイヒア?
ガイジン:Just having lunch with my kids.
母:ユアハズバンドあー軍人?ソルジャー?
ガイジン:Yes, my husband is working in American base.
母:オッケー、ディスイズマイテレフォンナンバーアンドアドレス。アイライクガイジン。
ガイジン:Oh…
忘れもしません、ファーストコンタクトはこんなでした。当時小学生だった私は「お母さん英語ペラペラだね!すごい!」と目を輝かせていましたが、今考えるとよくこのやりとりで急に電話番号と住所渡したなぁと思います。しかも、ちゃんと後日あちらから本当に電話がかかってきたんですよ、奇跡です・・・。
その最初の一本の電話から、彼女との交流は始まりました。彼女は2人の子供を持つ30代のアメリカ人で、旦那さんが日本に異動になったので家族4人で最近日本に越してきた、とのことでした。 母の面白い英語に興味をもったのか、はたまた母からにじみ出る取っつきやすさを汲んだのか、みるみるうちに仲良くなり、翌週には彼女の家族4名を狭小住宅(うち)に招き、ホームパーティを開いていました。酒豪の軍人と楽しい酒が飲めた父が、一番楽しんでいました。
それから数か月たったある日の昼、私は一人で留守番をしていました。父と母は買い物か何かで外出中でした。そこへ、ピンポーンとチャイムが。窓から誰が来たかを確認すると、彼女が子供を2人つれて我が家の玄関前に立っていました。わーいつものガイジンだ、どうしよう、コミュニケーションとれないよ・・・。と思いつつも、ドアをあけました。
りん:ハロー。
ガイジン:Hi. is your mom out?
りん:マミー、スーパーマーケットなう。
ガイジン:OK, then I have to go %&$‘*#&%・・・
ガーーっとまくしたてられ、気づいたら子供2人をうちの玄関にいれ、ドアをしめて行ってしまいました。まったく状況がわからず立ち尽くす私。とりあえず妹の方が「Cookie」と連呼するので、3人でテーブルに座っておやつを食べました。
両親が帰宅し、なぜかガイジンの子供が2人うちにいることに驚きます。母親なにか言ってなかった?と母に言われましたが、なんか言ってたけどわからなかった、と答えるが精一杯でした。緊急の用があったのかも。とりあえず夕方まで子守りするか、母はそう言いました。
当然3~4歳の子供がおとなしく座っているはずもなく、障子には穴をあけられ、庭の花は踏み荒らされ、”消防士ごっこ”と称してホースで水をまき私の自転車をびしゃびしゃにしていました。私の部屋にも押し入り、文房具をしっちゃかめっちゃかにしていきました。私は子供ながらに「こいつらに天罰が下れ」と殺意を覚えたのでした。
夕方になっても母親は迎えに来ず、電話にも出ず、「もしかして子供を置いて逃げた!?育児放棄!?」と私の両親は焦りはじめました。旦那の電話番号は知らないし、住所も知らないし・・・どうしようどうしようと親は動揺しつつも、子供2人に夕飯を食べさせ、風呂にいれてやり、父の布団に寝かせてやりました。明日警察にでもゆくか、と両親が話していたのをなんとなく覚えています。
そしてなんと、夜中の1時にうちのピンポンがなったのです!笑 もちろん金髪の彼女でした。車で迎えにきたからか、シラフでした。両親が「急にうちに子供を置いてどうしたんだ、親の具合でも悪かったのか」と心配気に尋ねると、彼女はあっけらかんと「友達の誕生日パーティにいっていた」と答え、すやすや眠る子供2人を回収するとサーっと去ってゆきました。我が家族は狐につままれたような気持ちのまま、眠りについたのでした。
翌日、母が電話でいきなり子供を置いてゆくなんて危険じゃないか、と言ったところ、「日本人は優しいし、とくにハヤシの家族は安全だと思った」とこちらが何も言えなくなるほど自信満々に言われたそうです。信頼してもらえるのはありがたくはありますが、外国人の、しかも会って数か月しか経っていない人に3歳の子供を12時間も預けておくとは・・・彼女特有の危険意識の薄さなのか、当時の時代的に許容されたのか定かではありませんが、私なら出来ないな・・・。
それから15年後、フロリダに住む彼女からエアメールが届き息子と娘の写真が送られてきましたが、ふたりとも無事にタトゥーガッツリ&鼻ピアスのギャングになっていました。思った通りでした。